第十話 本当の気持ち
第十話 本当の気持ち
「それで?」
全て話し終わった私に、アンはそう言って私の目をじっと見た。
イアンの不倫から始まり、今はずっとサムに会っていないこと、サムには好きな人がずっといるらしいことまで話した私は、この反応に少しびっくりした。アンはいつも私にとって一番良い答えをくれた親友だったから、次の言葉を捜すのに時間がかかった。
「あのね…私、その…。」
でも一方で、確かに、と思った。アンのその応答は正しいって。
だって、それで何なのだろう?
私は結局、サムがどうしたんだろう。どうにかしようにも、どうにも出来ないじゃない。
アンは、ため息をついて、私の方を見た。
「そうなんだ…。」
何も言っていないのに、アンは一人納得してうなずいた。沈黙で、風の音が妙に耳に響く。
「私、サムと仲良かったんだよ。」
アンが突然、思いもよらなかったことを言い出した。
「聞いたときないわよ?あんなハンサムな人のことなんて。」
笑いながら、私は彼のことをハンサムな人、と呼んだ。
アンは結構私にそう言うのをおおっぴらにしていたから、サムのような人を話してこなかったなんて正直信じられなかった。
「だって、もしイヴに言って、サムと会わせることになったら嫌だったし。」
私の目が大きく見開いたのが分かったのか、ごめん、って呟くアン。少しだけ、アンの気持ちが見えた気がした。
「別に…いいんだけど、そうじゃなくて…。」
アン、サムのこと好きだった…?
私はうつむいたアンの横顔を見ながら、少しだけ怖くなった。もしかして、もしかして…。
サムが長年好きだって言う相手も、アンなんじゃないかって。そう推測し始めた心。
アンのいいところはいっぱい知ってる。というか、悪いところなんてなくて、すごく素敵な女性なの。もしかしたら、本当に…。
「大丈夫?」
ボーっとした私を見て、肩を揺するアン。
「うん…ごめんね、アンと知り合いなんてびっくりして。」
目を見れず、少しずらしながら言う私に、アンはこう言い出した。
「私と仲良かったって言うか、私がイヴと仲良かったの知ってたからかもね?今考えると。当時から彼、寄ってくる女の子のこと振っては好きな子がいるからって言ってたわ。今でも独り身みたいね。」
当時を思い出して、そんなことを言うアン。私に遠慮でもしているのだろうか。謙遜するような発言なんかして。
「まぁ、いつ聞いても好きな子の名前は言ってくれはしなかったけどね…。」
残念そうな声で、アンは私に言った。私はどんどん落ち込んでいくアンを見て、慌てて次の言葉を言った。
「私、イアンのことで気が滅入っていたから…だから余計惹かれちゃったのかも…。」
冷静に自分を分析しながら、言葉足らずかな、今のはアンにとってマイナスかなって考えた。サムのことは、忘れられない存在だということくらい分かっているんだから。早く、どうにかしなきゃいけないのに。
「私はね、サムのこと好きになったイヴの気持ち分かるよ?」
友達としてアドバイスするなら、と言うアン。
「彼、意外に優しいし頭もいいしね。フランス語もぺらぺらだったわ、パティシエになるって言ってたころから。」
アンは、自分の彼を話すような口調でそう言った。今でも好きなんじゃないかなって思うくらい。
「でも…私は勧めないわ。」
友達としてだから勘違いしないでね、嫉妬じゃないわ、と早口で付け加えて。
「あなたは、幸せなんだよ。気づいてないだけよ。」
諭すかのように、言い聞かせるかのように、強く強くそう言った。
「幸せだとね、まるで何もないように…何も自分を幸せにしてくれていないような錯覚に陥るのよ。」
分かってないだけ、アンはそう呟いた。
「幸せに感じるときって言うのはね、幸せじゃないときに訪れるのよ。分かる?幸せになりたいと望むから、あなたも私も、幸せになれるのよ。」
まるで自分にそんな過去があったかのように、説得してくるアン。私は思わず聞き入っていた。
「幸せでいることに慣れてしまって、幸せになることをやめてしまったら、その人はもう幸せが何か忘れてしまうものなの。思い出して。キャンベルさんと付き合って結婚するまでのあなた、本当に幸せそうだった。あなたは分かってなかったかもしれなかったけど、幸せそうだったわよ?」
思い出して。
アンが言った瞬間、私は昔をゆっくりと頭の中で思い出していった。
結婚が決まったときは、なんとなく…幸せだった。それ以前を思い出すことなんてほとんどなかったけど。でも…確かに、幸せだったのかもしれない。
些細なこと。その些細なことの積み重ねが、一番幸せだった。
いきなり大きな舞台に立たされて、今までのことが頭からすっかり消えてしまったように、結婚してからの私は幸せだった過去を忘れていた。
幸せってなんだろう。
わからないけど、確かにアンがいうように、私…幸せだったのかもね。幸せになっては次を求めるあまり幸せを忘れて、また手にすれば失って、その繰り返し。今は、失ってしまった場所に立っているのかもしれない。
「でもあまりに見失いすぎて、キャンベルさんも同じタイミングで忘れてしまったのなら、…。そのときに現れたのが彼なら、そりゃ彼を求めるわよ。」
アンはいきなり私の記憶を断ち切って、そう言い放った。
「サムとまた話してみなよ。ちゃんと、忘れるなら忘れなきゃ…。逃げてちゃ、誰にも分からないよ。」
泣きそうなアンを見て、私は昔を思い出した。
よく、一途なアンに説教されてたころのこと。
たくさんの男が高級なレストランに連れて行ってくれたりプレゼントをくれたりして、妹のエマやお母さんにもその分貯めたお金で贅沢なことをプレゼントしていた私。アンはそれを見て、本当に好きでもない人からお金巻き上げて楽しい?って言い放った。当時はその言葉にカチンと来て、じゃあアンは本当に好きな人からお金を巻き上げるのが楽しいのね、と言い返した。アンは信じられない、といった顔をして、もういい、と家へ帰った。それからは数ヶ月間、口も聞かなかったっけ。私と口を利いてくれはじめたのは、高校を卒業して、当然大学へは行けずに男たちとも自然に縁を切り、お店を手伝い始めた頃だった。アンは当時付き合っていた彼を連れて、私が作ったパンをたくさん買って行ってくれた。頑張ってねって、笑いながら。
夕方になって、アンの弟とも久しぶりに談笑して楽しんだ後、私はタクシーで一人帰っていった。
アンの家を後にしてからずっと、サムのことを考えながら。
イアンとの関係をうやむやにして、たまたま悲観的な状態の私と出会ってしまったのが彼だったのかな。
それとも、本当にサムのことを純粋に好きになって、それを現実として受け入れるのが怖いから今逃げてるのかな。
…私は、サムと出会って、よかったのかな。
そう、考えながら、たどり着いたのはサムの喫茶店だった。

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